第59回日本母親大会に参加してきました。やっぱり、女性パワーはすごい!!

8月24日・25日、東京で第59回日本母親大会が開催され、府議団を代表して参加してきました。今回で6回目になるでしょうか。

全国各地で子どものいのちを守る一点で地域で草の根をひろげて母親運動を実践している女性たちのパワー!やっぱりは母は強し!です。

母親大会第一回は1955年です。2,000人が集まりました。涙と訴えの大会と言われ日本の母親運動の新たな歴史を切り開いた大会。同じ年には、世界母親大会が68カ国、1,060人の参加で開催されています。わたしが生まれる前年ですね。

その前の年の1954年に、アメリカの水爆実験によりビキニ環礁で日本のマグロ漁船第五福竜丸が被ばく。当時、平塚らいてうが「日本婦人の訴え」を発表、世界に発信し、世界母親大会へとつながったものです。

命を生み出す母親は命を育て命を守ることをのぞみます!のスローガンのもと、子どものいのちを脅かすあらゆる問題で、母親たちが思想・信条・人種の別を乗り越えて連帯したたかってきた歴史。

今回は戦後68年の夏、東京開催ということで、東京大空襲による空襲被害者援護法の制定を求める運動、東京アピールが紹介をされたのを皮切りに、3・11東日本大震災・被災地の訴えや福島原発被災地の訴えにつづき、全国各地で、暮らし、命、平和をまもる母親運動が交流されました。

世界一の電波塔東京スカイツリーが開業している地域は1945年3月10日東京大空襲で焼け野原となり、わずか2時間半の間に10万余の死者と推定100万余の被災者を出したところ。一般市民が密集する市街地に焼夷弾無差別爆弾がアメリカ軍の手によって強行され、世界史にのこる最大の死傷者をだす空襲となったところ。

戦後68年の今も政府は「一般市民は空襲被害を我慢せよ!」と軍人に対しては53兆円の年金・補償をしているにもかかわらず、民間人には死者の人権をはじめ謝罪も救済もしていません。空襲被害援護法の制定を求める運動が繰り広げられていました。