日本経済新聞6月9日の記事より
『原発避難住民、指示に不満続出 1万人アンケート – 国会事故調「場当たり的で混乱」と批判』
東京電力福島第1原子力発電所事故を検証する国会の事故調査委員会(黒川清委員長)は9日、避難住民約1万人へのアンケート結果を公表した。事故の状況や避難期間の見通しなど必要な情報が伝わらず、多くの住民が着の身着のままで逃げざるを得なかった。黒川委員長は「情報発信が遅く、避難指示は場当たり的で混乱につながった」と政府の初動対応を批判した。
アンケートは避難地域に指定された福島県双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、浪江町、広野町、田村市、南相馬市、川内村、葛尾村、川俣町、飯舘村の12市町村で、実際に避難した5万5000世帯のうち2万1000世帯を対象に3月15日から4月11日に行った。1万633世帯から回答を得た。
事故をいつ知ったか聞いたところ、原発から半径3キロ圏内に避難指示を出した「(2011年3月)11日午後9時23分」は2割未満だった。
避難指示を20キロ圏内に拡大した12日午後6時25分には、原発から近い双葉町、大熊町などの住民は8割が事故を知ったと答えた。これに対し、20キロ以上離れた飯舘村や川俣町では、12日時点で事故を知っていた人は半数程度で、15日夜になってようやく9割を超えた。
避難指示の情報源として「自治体」をあげた住民は各市町村ともおおむね半数に達し、国会事故調は「数時間のうちには住民に伝達された」と一定の評価をした。
一方、避難指示の内容には不満が続出。浪江町の住民は「避難理由は津波だった。原発事故の説明があればもっと遠くに逃げた」と回答。大熊町の住民も「指示で原発事故に触れていれば、貴重品などを持ち出せた」と訴えた。
後に避難区域に指定される地域に避難した経験のある住民は浪江町で約5割、双葉町、富岡町でも約3割に上った。また双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、浪江町の住民の約7割が4回以上避難先が変わったと答えた。浪江町の住民は約3割が6回以上変わったという。
国会事故調査委員会が9日、福島原発事故避難者の1万人アンケート結果を報告しました。事故の状況や避難期間の見通しなど必要な情報が伝わらず、住民が着の身着のままで逃げざるを得なかった事実が明らかに。
府議会府民生活・厚生常任委員会で福島県の広域避難場所、ビッグパレットを訪問した際に、現場の職員が悔し涙で語っておられたこと、「住民の多くが爆発音を聞き、煙をみて、これは危ないと着の身着のまま逃げた」と。
黒川委員長は「情報発信が遅く、避難指示は場当たり的で混乱につながった」と政府の初動対応を批判しました。20km以上離れた飯館村などでは12日になっても原発事故を知っていたのは半数とのこと。この教訓を政府や京都府は真剣に活かそうとしたか? NO!と言わざるをえません。
そうした段階で、大飯原発再稼働を事実上容認した知事、全国知事会長でもあるだけにその責任は重大であると言わなければなりません。
京都府は現在、大飯原発についての放射性物質の拡散予測に基づく避難計画を立てていない。「暫定30kmで 国に先がけて防災計画を見直したのでこれで応用できる」の一点張りだった。先日の常任委員会で「第二次の防災計画の見直し」をおこなうと発表した。何度指摘してもこの調子。被害地元であるというのなら、それにふさわしい取り組みをおこなうよう強く求めたい。