平成29年6月定例会 エネルギー政策特別委員会―2017年6月30日〜島田敬子府議の質疑応答部分

所管事項の調査

下記のテーマについて、参考人から説明を聴取した後、質疑及び意見交換が行われた。
 ・再生可能エネルギーの利用評価について

◯能勢委員長  まず、所管事項の調査についてでありますが、本日のテーマは、「再生可能エネルギーの利用評価について」であり、参考人として、京都大学大学院エネルギー科学研究科教授の手塚哲央様に御出席をいただいております。
 本日は、大変お忙しい中にもかかわらず、御出席を本委員会のために快く参考人をお引き受けいただき、まことにありがとうございます。
 手塚様におかれましては、東京大学大学院工学系研究科電気工学専門課程の博士課程を修了後、京都大学においてエネルギー学、経済政策、システム工学の御研究に従事され、現在、京都大学大学院エネルギー科学研究科の教授として御活躍をされていると伺っております。また、京都府におきましては、京都府再生可能エネルギーの導入等促進プラン委員会の委員長として、平成27年12月には本府の実施計画を策定いただいたところであります。
 本日は、そういった日ごろの御活躍を踏まえ、再生可能エネルギーの利用評価についてのお話をお聞かせ願いたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
 それでは、参考人の御意見を拝聴いたしたいと思いますが、説明の準備が整うまで、しばらくお待ち願います。
 それでは、手塚様、よろしくお願いいたします。

◯手塚参考人  京都大学の手塚と申します。今日はよろしくお願いいたします。
 先ほど御紹介いただきましたように、今日はこういうタイトルでお話しさせていただきます。私にとっても初めての経験ですので、何をお話ししたらいいのかというのは、よく把握はしていないんですけれども、再生可能エネルギーの評価ということに関してちょっと幾つかのいろんな話題を持ってまいりました。お手元の資料のとおり、それに従ってお話していきたいと思います。私の話の後にいろいろ御質問いただく時間があるということですから、またそのときにいろいろ御意見をお聞かせいただければと思います。よろしくお願いいたします。最初、私も大学の人間ですので、ちょっと話がかたくなるかもしれませんが、少しおつき合いいただきたいと思います。
 エネルギーシステム学というのは、私が今やっている研究に私自身がつけた名前なんですけれども、システム工学ではなくてシステム学という名前をつけております。その理由もまた後ほどお話したいと思います。まず、その考え方をざっとお話したいと思います。よろしくお願いします。
 エネルギーシステム学が対象としておりますのは、こういうエネルギーの流れです。1番上がエネルギー資源ということになります。いろんなところからエネルギー資源を持ってくる、そのエネルギー資源のことを1次エネルギーというふうに呼んだりもします。そのエネルギー資源を我々が利用しやすい形に変換をする、エネルギー変換というのが非常に大事な工程になってまいりますけれども、エネルギー変換をした使いやすいエネルギー、電力とかガス、それから水素なんかもここに入ります。そういう2次エネルギーを利用者のところに運んで、最終的にいろんな目的に使うというのがエネルギーシステムの研究対象ということになります。だから、これをどうやってデザインするのかという、一言で言えばもうそれに尽きるわけです。
 ただ、ここは技術の問題であるというのはおわかりいただけると思います。エネルギー需要となると、誰がエネルギー需要を決めるのかというと、人間が決めることになります。では、当然ここの議論というのは、人間の心の問題を避けて通ることはできないということになります。最終的に、例えば水素を使うことがいいとなったときに、では、どうやったら水素を普及させることができるのかというと、経済学とか、いわゆる社会科学という領域になります。だから、そういう工学、社会、それから人文学、そういうものが全てこういうデザインの問題にかかわってくるということが御理解いただけるのではないかなと。
 こういう絵を私はよく使うんですけれども、ちょっと済みません、ずれていますけれども、エネルギーにかかわる3つの世界があるだろうと。1つが物理、それからもう1つが心の世界、それからもう1つが望ましいエネルギー需給を実現するための社会の枠組みをつくるという社会科学、この3つ全てをやはり考えていかないとエネルギーの議論はできないだろうというふうに考えております。これが先ほど言いましたシステム学と、「工学」ではなくて、「学」と言っている理由ということになります。
 ゆっくり話していると時間はあっと言う間になくなってしまうのですが、もう1つ、ちょっと前置きが少し長くなりますけれども、お許しください。「群盲、象を撫ず」という、こういう昔のお話を御存じだと思いますけれども、目の見えない方が手で対象物をさわることによって、これが何であるかということを認識しようと。ただ、この人は牙をさわっていて、みんないろんなところをさわるんですけれども、これはロープだ、壁だ、柱だと言って、誰もこれが象であるということを認識できないという、そういう話なんですけれども、エネルギーも同じような側面があります。
 いろんな専門家はもちろんあるわけですけれども、いろんな専門家がそれぞれの分野でエネルギーを考える。ただ、みんな手というのは専門家の手になります。専門家の知識、そういうものが手に対応するわけですけれども、誰もエネルギーの全体像を認識することができないというのがエネルギー特有の問題であるというふうに思います。これがエネルギー学と私が呼んでいるところの大きな特徴なのかなと思います。
 ただ、やっぱり全体像を見ないとエネルギーの議論をできないとすれば、では、どうやって見たらいいのか。一言で言うと俯瞰的に見るとかよく言うんですけれども、なかなか俯瞰的に見るというのはどういうことなのかということもよくわからないというところがあります。結論だけ言いますと、各々の研究者の自律性とか、それから、各々の研究者の中にいろんな専門分野が中に入ってくるという、そういう個人学際という言葉がありますけれども、こういう方向に研究とか、それから教育というのが進んでいく必要があるのかなと思っております。
 これはちょっと飛ばさせていただいて、もう1つ、きょうの大きなテーマになるんですけれども、エネルギーシステム学で1つ大事なポイントがあると考えています。システムというのはいろんな要素があって、その要素が相互作用することによって何か全体として一定の挙動が生まれてくる、そういうのをシステムというふうに呼ぶと思います。エネルギー需給システムであれば、ここに人間とか企業とか、それから社会の制度、それからエネルギー市場とかいろんなものが入ってきて、それがお互いに相互影響し合うことによってエネルギーの需要と供給が生まれてくるという、そういうことになろうかと思います。
 そのときに、もちろん1つの企業の収益とかそういう問題はミクロの視点といいますけれども、そういうものも大切になりますし、全体としてやっぱりエネルギー需給がうまく動かないと困るねという全体の視点も同時に必要になります。どっちか一方だけ考えればいいということではなくて、両方同時に考えなきゃいけないというのが、このシステムを見るというときの大きなポイントかなと思います。これが結構難しいです。ただ、難しいけれども、それをやらないとだめなんだよというのが、こういうエネルギー需給を考えるときの1つの心構えというんですか、そういうことを意識して物事を考えるという必要があるんだと思います。
 それで、お金の話が1番わかりやすいので、ミクロ経済、マクロ経済という言葉は聞かれたことがあると思いますが、例えば、非常にちょっとわかりにくい絵なんですが、この点線が1つの国の境界をあらわすと考えてください。もう地球はちょっと後に置いておきます。
 その中に、例えばいろんな企業とかいろんな人間、A、B、Cと3つしかありませんけれども、実際にはもっともっとたくさんあります。この緑の矢印がお金の流れ、それから、黒の矢印がお金を支払ったことに対する財貨、いろんなサービスとか製品をもらうという、そういう流れになります。BさんがAさんにお金を払うと、AさんからBさんに何かサービスとか物が移動するということになります。
 ミクロ的に見ると、Bさんの収入と支出、そこでBさんは利益が大きいほうがいいと、そういう考え方になるんですけれども、例えば国全体で見るということを考えると、Bさんだけの収益に興味があるわけではない。誰かの支出というのは必ず誰かの収入になりますから、お金というのはなくならないので。すると、国にとって興味があるのは、御存じのとおりなんですが、どういうふうにお金が循環するかということをマクロの視点では見なきゃいけないということになります。もちろん、Aさん、Bさん、Cさんが皆さん破産して潰れちゃったら困るわけですから、ミクロの視点はもちろん大事なんですけれども、国としての施策ということを考えるときには、マクロの視点というのも同時に考えなければいけないということになります。
 よく血液の流れに例えられるんですけれども、血液の役割というのは、体全身に酸素、栄養素、それからいろんなところで発生した老廃物をまた吸い上げてくると、それが血液の役割ということになります。お金の役割も、やはり財・サービスを国の中にくまなく分配するということが目的になるわけですから、血液と非常に似ているというのは、経済学の教科書にも書いてあるとおりです。
 だから、昔よく誰かが言ったと思うんですけれども、お金をもうけ過ぎて何が悪いんだということを言った人がたしかいたと思います。マクロ的に見ると、儲け過ぎるのはよくないというのは、これを見るとすぐわかるんです。誰かが儲け過ぎるというのは、鬱血している状態です。どこかに血ががっと固まっている状態で、それは決して居心地のいいものではないです。血液というのは循環してこそ意味がある。だから、お金も循環してこそ意味があるというふうに考えるべきだと思います。それがマクロ的に見た話で、ミクロ的に見れば儲け過ぎて何が悪いということにもちろんなると思います。その両方を考えて経済政策とかエネルギー政策を考えていくというところが非常に難しいところです。
 これもマクロ経済の教科書によく出ている絵で、政府と家計と企業の3つのプレーヤーの間で、この赤がお金の動きになります。どういうふうに動くかという、これをデザインするのがマクロ経済、政府の経済政策ということになるわけですが、何が難しいかというと、例えば家計から政府への税金、税額を上げようとすると、ここだけを上げるというわけにはいかないんです。お金というのはなくならないので、もしこの流れが増えたとすれば、この税金がどこかにまた流れていかないとバランスがとれないということになります。だから、1ヶ所のお金の量を変えると、全ての赤の矢印が動くということになります。これがマクロ政策の難しいところです。
 日銀なんかも苦労しているというのは、こういうところにあるわけですけれども、人間というのは、そういう全体を見るということが非常に苦手であるということが言えると思います。それは、こういう絵を見ていただいてもすぐわかるんです。これはよく知られた、エッシャーという人が描いただまし絵です。どこかおかしい。永久機関ですよね。これは滝がずっと流れて、ここで発電するとすると、何もしないのに電気が生まれ続けるということになります。でもどこかおかしい。
 どこかおかしいというのはわかるんだけれども、どこがおかしいということを言い当てるのは結構難しい。1ヶ所1ヶ所見ていくと、そこの状況というのは人間は割と理解できます。だから、ミクロ的に見るのは人間は得意なんですけれども、全体をぱっと見てここがおかしいと言い当てるのは、人間は余り得意ではないです。これはもう人間はそういうものだと思っていただかないといけないわけで、ただ、得意ではないんだけれども、それを考えないと、国とかそういう地域の政策というのをやっぱり考えることはできないんだよということを認識して頑張る必要があるというふうに思っています。
 という、ここまでが前置き、ちょっと長かったんですけれども、きょうは費用というものについてお話ししたいと思います。
 費用と価格の違いというのは御存じのとおりなんですけれども、費用と価格の関係で、税金とか補助金とか利益が入ってきて価格というものになるわけですけれども、費用が前提として与えられたとしても、価格というのはかなり自由度を持って変えることができると。例えば、政策1つをもっても価格というのは変えることができるというのは御存じのとおりで、最近で言えばフィードインタリフ、再生可能エネルギー電力の買い取り制度というのがありましたけれども、ああいうものによっても価格というものを変えることができるというのは御存じのとおりです。
 もう1つ、ちょっと話が変わって申しわけないんですけれども、エネルギーを考える上でぜひ頭に入れておいていただきたいことに、派生需要という問題があります。これはエネルギー特有の性質です。世の中に市場で取引されるいろんなもの、こういうジュースなんかもそうですけれども、いろんなものがあるんですけれども、エネルギーだけちょっと特別だというふうに思っています。それは何かと言うと、エネルギーの消費行動には常にエネルギー消費以外の目的があるということです。電力が好きだから電力を使うという人は恐らくいない。そういう財、商品というのはほかにないんです。これはやっぱり認識しておいていいのかなと思います。だから、エネルギー政策を考えるときには、これを頭のどこかに置いておいていただけると、少し考え方が変わるんじゃないかなと思っています。
 例えば、エアコンで電力を消費するのは、部屋を快適にするという目的があるからなんです。電気が好きだから部屋で電気を使うという人はいないわけです。だから、部屋で電力を消費するために、電力と、それから部屋という入れ物を供給するわけです。それで、上は電力会社、下は不動産会社ということになります。ただ、電力消費というのは、例えば快適な部屋を使いたいというふうに置きかえると、商品が快適な部屋ということになります。すると、供給すべきは快適な部屋であって、電力というのは表に出なくてもいいんです。だから、こういうことをちょっと考えることによって、世の中の枠組みを大きく変える可能性があるんじゃないのかなと思ったりもします。これはこれだけで、また何か後でお話があったらよろしくお願いします。
 これに関連して、ちょっと淡路の環境未来島構想というのがありまして、特区構想の1つなんですが、ちょっとそこにも評価委員でかかわっているんですが、そこの1枚の絵です。そこでは、暮らしと、食と農、それからエネルギー、この3つのサステナビリティ、持続という問題を考えるということになっています。
 細かいことはいいんですけれども、今の派生需要ということを考えると、本来、食と農と、暮らしというものと、それからエネルギーというのは分けて考える必要がある。こっちは人間の幸せを生むものであって、こちらはどっちかというと制約条件がある。二酸化炭素も制約ですよね。エネルギーも制約であって、できるだけ使わないほうがいいというのはあるんですけれども、目的関数というか、幸福と直接リンクしているというものでは実はないんです。こっちで人間の生活の幸せを考えて、さらにエネルギーの環境負荷を減らすという2つの効用、二重の効用とか言ったりしますけれども、2つ違ったメリットがあるんだよということを考えると、ちょっと発想も変わってくるのかなと思ったりもしています。
 これもポンチ絵で申しわけないんですけれども、あくまでも政策でデザインすべきは現実の社会であって、エネルギー政策は、現実の社会をエネルギーという側面で切り取ったものになります。それから、物質のリサイクルというと、そういう視点で切り取ると、こういう絵が描ける。もちろん、お金だとこういうふうに切り取れるわけです。経済政策というのは、もちろんここを考えるわけですけれども、最終的にいろんな政策は現実の社会に全部統合されるということをやっぱり考えておく必要があるのかな。
 時々エネルギー政策というものの議論で、ここの議論が抜け落ちているようなことがよくあるような気がします。人間は両方考えるのが苦手ですから、もうそれはしようがないんですけれども、やっぱり両方考えるように、エネルギーを考えるときに、リサイクルも必要だし、お金も必要だし、全て考えて、では、現実の社会はどうなるのかということをやはり頑張って考えないと、政策の議論というのは難しいのかなという気がしています。もちろん難しいんです。だから、努力対象ではあるんですけれども、そこで頑張るというのが1つ大事なことではないかなと思っております。
 時間がなくなってきているんですが、再生可能エネルギーの話は1枚のA4のレジュメに簡単にかいつまんで書いてありますけれども、ポイントだけお話しして、あとを質問の時間に充てたいと思います。ちょっとぱっぱっぱといくと申しわけないんですが、お手元の資料で、ちょっとここがないんですが、ホッチキスでとじたものと別に1枚だけの色のついた資料があると思います。それですね。それとちょっとあわせて、こういう絵があるものです。
 後で入れようと思って、ちょっと追加資料にさせていただきましたけれども、化石燃料と再生可能エネルギー、太陽とか風力です。そういうものとが本質的に違うものなんだよということを、まずちょっと頭に入れておく必要があるかなと。もちろん、皆さんおわかりだと思うんですけれども、よくエネルギーということで一緒に考えられることがあると思うんです。
 ただ、化石燃料というのは、過去物すごく長い年月のエネルギーの蓄積の結果であって、いつでも好きな量だけ使うことができます。太陽エネルギーというのは、上から降り注いでくる分だけしか使えません。だから、こっちはストックである、貯蔵されたもので、こっちは流れているものだと。ダムと川の流れというふうに考えていただければいいと思います。だから、こっちは好きな量をいつでも使える、こっちは流れている分しか使えない、本質的にそこが違うんです。それは、もし本気で再生可能エネルギーを導入しようとすると、世の中が結構大きく変わる可能性があるということを頭に入れておく必要があるかなと思います。少ない量だったら大して関係ないんですけれども。
 これもまた興味ある場合には後でじっくり見ていただいたらいいんですが、原油と太陽光を比べた場合の話です。こっちがストックでこっちがフローということで、貯蔵装置が要るか要らないか、所有者があるかないか、発電設備が大きくなるか小さいか、それから、出力が制御できるかできないか、それから、今のマーケットで取引が扱えるか扱えないのか、いろんなことを考えると全て違うんです。このあたりもまだまだ学問レベルでも十分議論されていないところなんですけれども、再生可能エネルギーというのは、もし本気で導入するなら本気でいろいろ考える必要があるということだけちょっと頭に入れておいていただけると、いろんな議論のきっかけになるかなと思います。
 あと10分ぐらいでいいんですね。少しだけ、費用ということについてお話ししたいと思います。
 固定費とか、可変費とか、限界費用とかいう言葉がどうしても必要になるんですが、固定費というのは設備投資の費用だと思ってください。可変費というのは燃料費。だから、化石燃料の発電所であれば両方必要だというのは、おわかりいただけると思います。発電所の費用がこちらで、出力を増やすと燃料が余計に必要になるということです。ただ、太陽電池を考えると燃料が要らないですから、可変費がゼロになるという大きな特徴があります。それから、もう1つが外部費用、機会費用、後でちょっとまた御説明します。そういう幾つかの費用というものが、お金の議論ではどうしても必要になるということでございます。
 このあたりはちょっと飛ばさせていただいていいですか。時間があったら後で戻ります。
 まず、外部費用のことを先にお話ししたいと思います。
 これはよく議論されている内容で、御存じのとおりだと思いますが、例えば電力を使う人と発電事業者があって、電気代を支払うと電力が使える、これは電力市場なんですけれども、ここからCO2が出て、この市場とは関係ない人にCO2による温暖化の被害が出るとする。その被害というのは、ここの人たちによって補償されないとすれば、それはこの市場の外にあるということで、外部費用というふうに呼ばれます。もちろん、これは誰かが支払えばその費用も内部化されたという、そういう経済の議論があるわけです。
 1つ再生可能エネルギーで大事なのはこれかなと思うのが、外部便益と呼ばれるものです。これは何かと言うと、例えば、ある人が太陽電池を屋根に置いた。すると、もちろん、これは発電事業者ではなくて、済みません、太陽電池販売業者だと思ってください。太陽電池代を支払えば太陽電池を買うことができる、そういうことになるわけです。ただ、太陽電池を設置することによって地球全体のCO2排出量が減るとすれば、それは地球上の全ての人に何らかの便益があるわけです。ただ、そういう人たちというのは、その便益に対して何も支払っていない。だから、こういう便益というのは、外部便益、この市場の外にあるというふうに考えることができます。本来、その便益もお金の支払いの対象になるとすれば、太陽電池を設置した人は、世界中の人から何がしかのお金をもらってもいいという、そういう理屈も出てくるかなと思います。
 これは風車の騒音被害で、大体2割ぐらいの例で騒音の苦情が出ているという例です。これは外部費用の例です。費用に関しては、ひどいときには実際に裁判で取り扱われたりとか、そういうことにもなるわけですけれども、特に便益に関しては文句を言う人がいないので、なかなか表に出てこないというおもしろい側面があると思います。
 森なんかもいろんな外部便益があるというのは、御存じのとおりです。ほとんどお金の支払いの対象にはなっていないんですけれども、やはり何がしかの形でこういう便益というのは評価されるべきなんだろうと思います。ただ、例えば、あなたは森林による便益に対して幾らお金を支払うことができますかという質問には、なかなか答えにくいんです。被害に対して幾ら欲しいということは主張はしやすいんですけれども、便益に対してみずから進んで支払うというのは、なかなか難しい。それがなかなか環境にとっていいことが世の中に広がっていかない1つの側面なのかなと思います。このあたりは教育とか、そういうところも非常に大きな役割を担うのかなと思います。
 もう1つは、外部性と言われている理由なんですが、もともと幾らなんだということが評価できないから、外部便益、外部費用ということになっているわけです。だから、それは一生懸命評価しようというのもいいんですけれども、そういう外部便益の存在を認識すれば、やっぱりそういうのを無条件に広めていくという、そういう考え方も一面としては大事なのかなと思います。これが外部便益、外部費用です。
 それから、機会費用というのは、もうちょっと時間もないのであれなんですが、例えば東南アジアでアブラヤシ、パームオイルが最近余ってきています。だから、アブラヤシを切って、ジャトロファという実を潰すと軽油が出てくるような、そういう植物があります。ディーゼルオイルです。アブラヤシのかわりにジェトロファを植えたらいいじゃないかというような場合の機会費用というのは何かというと、ジェトロファを植えずにアブラヤシをそこで育てていたときに、最大どれくらいの利益があっただろうかということを評価するというのが機会費用というものです。だから、ジェトロファを植えなかったら何が起こっただろうかという、そういう別の機会での便益を考えるということなんです。これも化石燃料ではほとんど関係ないんですけれども、再生可能エネルギーとかいう場合には、結構重要な議論になってまいります。
 労働なんかでもよく言われる話なんですが、これも機会費用に絡む話ですが、人を雇うというのは、景気がいいときには費用になります。ただ、景気が悪いときには雇用創出という名前で呼ばれたりします。同じ対象なんだけれども、社会の状況によって費用になったり便益になったりする。これも背景にはこういう機会費用という考え方があるというふうにお考えいただいたらいいのかなと思います。
 だから、一口に費用と言ってもいろいろあるんだということだけちょっと頭に入れておいていただいて、学生へのレポート課題としてはこういうものをよく出したりしています。それで、山のてっぺんの木を切ってメガソーラープラントをつくった、これに対して考慮すべき費用というのはどういうものがあるのかというのをまとめなさいというような問題が出てきます。それには固定費用とか、それから可変費用とか、さっきの外部費用、外部便益、それから機会費用という問題が全て絡んでくることになります。それは、ここではもうそれ以上触れないということにします。
 もう1つ、きょうお話ししたいことに、限界費用という問題があります。これが再生可能エネルギーと化石燃料とを大きく区別する事柄の1つになります。右下は考えないでください。左上だけ、設備投資のない場合だけです。
 化石燃料で発電する場合には燃料が要ります。限界費用というのは1単位、1kWh追加的に発電するときにどれくらいお金が要りますかという、それが限界費用ですので、燃料費が限界費用になります。これが化石燃料で発電する場合の限界費用です。先ほど申し上げましたように、太陽電池の場合には限界費用がゼロということになります。
 この限界費用ゼロというのは、今まで私どもがそれほど経験したことのない商品なんです。限界費用ゼロのものが目の前にあったときに、では、どうするかといったら、出てきた電力は全部使いますよね。燃料費があるならば、発電設備が余っていても、燃料を余計に焚かなきゃいけないから、ある程度省エネルギーしようということになります。ただ、これに関しては、省エネルギーしようということにならない。出てきた電力は使ったほうがいいわけです。そこで大きな違いがあります。
 では、今度、競争市場で考えよう。火力発電と太陽電池とを考える。入札して安いほうが需要を獲得することができる。では、最低の入札価格は何かというと燃料費になります。燃料費より安い値段で売るばかはいないんです。絶対損しますからね。ただ、固定費はここには関係してこないんです。すると、太陽電池はゼロですから。もう圧倒的に太陽電池が有利なんです。だから、そういうことがヨーロッパでももう既に起こっています。火力発電が競争市場で負けているというのは、そういうことです。
 では、固定費をどうするんだ。それは別の財源で賄ってもいいじゃないか。例えば、道路なんかは、道路を使う人が支払っているという場合もありますけれども、一般の人が歩くときに道路代を支払っているわけじゃないですね。あれは別の財源で道路のメンテナンスとかはされているわけです。だから、太陽電池なんかも一般のインフラと思えば、それは別の財源で太陽電池を整備するという考え方があり得ると思います。それは制度次第です。
 そういうことを考えると、エネルギー市場というのは、結構いろんな可能性が出てくるのではないかなと。だから、太陽電池が高いから導入できないという議論は、なかなかいろんなバリエーションがあって難しいのではないかなと。もちろん、誰かが支払わなきゃいけないというのは、それはそうなんですけれども。
 そういうことをまとめたものが、この絵で御説明するのが1番いいかなと思います。こっちが化石燃料の場合で、こっちが太陽電池の場合だと思ってください。化石燃料の場合には燃料費がありますから、発電所の最大供給能力全てを消費しているということにはならないんです。だから、いろんな需要家がいたときに、もうちょっと電気を使いたいなと言ったら供給する能力がある、それが今の発電設備です。太陽電池の場合には、さっき申し上げましたように、限界費用ゼロですから、もうそれは使い切ったほうが得なんだよということになります。
 では、使い切ったときの状態というのはこういう状態ですから、例えばAさんがもうちょっと使いたいと思ったときに、他の人がちょっと減らさないとだめなんですよね。だから、こっちは個人個人が使いたい量を考えればいいんですけれども、こっちは社会全体のバランスというものを考えないと、再生可能エネルギーというのをうまく使っていくことができないという可能性がある。
 だから、こっちはミクロ的な、今までどおりの市場の運営でいいわけですけれども、こっちはマクロ的、社会全体を見てどういうふうに再生可能エネルギーを使うのがいいのかということを考えないと、なかなかうまく運用できないという、これはちょっと先の話になります。再生可能エネルギーが化石燃料よりも多い、供給量が多くなってきたような場合、そういうときにこういう問題が顕在してくるんじゃないかなと思っています。
 ただ、いずれにせよ申し上げたいことは、化石燃料の社会と再生可能エネルギーの社会というのは本質的に違うことを考えていかないと、うまく運用できないという可能性があるんだということです。その自由度も非常に高いということは、こういう話を聞いても理解していただけるかなと思います。
 費用ということについては、大体以上なんですが、お金で評価できないものというのもいっぱいあります。
 太陽エネルギー、バイオマスというのは木だと思いますと、例えば、こういう景色を見て、これは足立美術館ですけれども、やっぱり人間はうれしいわけです。これはバイオマスをエネルギーとして使っているわけではない、太陽エネルギーをエネルギー源として使っているわけではないんですけれども、人間の幸福に関してはかなりの貢献度はあると思います。これも掛け軸のかわりに穴をあけているだけなんですけれども、こういうのも非常に美しいと思うものがあるとすれば、こういう使い方も再生可能エネルギーでは忘れてはいけない。これも東京の明治神宮ですが、ほかの部分には木はないんですけれども、ここだけは木がある。
 その最たるものが、ニューヨークのセントラルパークですけれども、見事に公園がビルで囲まれている。公園が見えるところの部屋代というのは高いらしいんですけれども、やっぱり人間は森や緑が好きであるというのは、これは恐らく遺伝子に組み込まれた情報なのではないかなと思いますが、そういう価値もひっくるめて再生可能エネルギーというものを考えていくと、そういうことが大切なのかなと思います。
 ちょっと枚数が多かったと思いますが、以上で、とりあえず私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

 

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◯島田委員  今日はありがとうございます。
 4番目のところで、エネルギーに関わる3つの世界(学問分野)ということで、物理的世界(自然科学)、心的世界(人文学)、社会的枠組(社会科学)と、この真ん中にエネルギーがありますけれども、東日本大震災以降、人々の意識といいますか、随分、原発事故を受けて変化をしてきているのではないかと、電力自由化によって、最近では原発で出されたエネルギーは買わないで、再生可能エネルギー100%のそういう電力会社を選ぶとか、随分変容してきているのだなというふうに今、思うわけですけれども、このあたりの変化はどのように考えていらっしゃいますか。(手塚参考人「もう一度お願いします」と言う)この東日本大震災、原発事故を受けて、それ以後の人々の行動変化というか、心理変化ですね、こうした変化が起こっているというふうに思うんですけれども、概略どんな変化でしょうか。

◯手塚参考人  そのこと自体は私、そんなに調べているわけではないんですけれども、割と人間は忘れやすいものですよね。東北の震災のことが非常によく取り上げられてきたわけなんですけれども、その前に阪神の大震災がありまして、個人的にはそちらの印象のほうが強いんですけれども、日本レベルの学会とかに行くと、やっぱり東北のほうが重要視されるんです。
 では、大きなそういうもの、本当の災害というのはもういろいろあるわけです。当事者は大変だというのは、恐らく全てについて言えることであって、その当事者にとっては恐らく災害の前と後で大きな変化というのはもちろんあったのだと思います。
 ただ、ほっとくと、恐らくそれはだんだん変わっていく。それは人間、いろんな嫌なことを忘れないと人間は生きていけないですから、恐らく人間というのはそういうふうにできているのではないかなと思うんですが、意識の変化という視点で考えると、むしろそれをどういうふうに抽出して、社会全体の変化を抽出して、それをさらに、例えば再生可能エネルギーというものと結びつけようとするならば、そういうものの促進にどういうふうに生かしていってということを、やっぱりちょっと積極的に考える必要があるのかな。
 何もしないで置いておけば、こう言うとインターネットではまずいのかもしれないんですが、恐らくもとに戻ってしまうのかなと。せっかく、もし変わりつつあるとすれば、それを積極的に生かす努力を、もとに戻らないうちにやる必要があるのかなと思います。ただ、利用してと言うとちょっとまずいんですけれども。

◯島田委員  今、世界の流れは、この日本の貴重な教訓から学んで、脱原発なり、あるいは化石燃料からの脱却というような方向で、大きな、ダイナミックに変化をしてきているということもボン会議等でもあらわれているように、日本もやはり教訓、貴重な経験を忘れずに、未来社会に向かってより豊かに過ごしていけるように、政治も役割を果たさなきゃいけないと思うんです。
 もう1つ、33ページのメガソーラーの発電プラントの問題で、南山城村に30万個のソーラーパネルを張りつけるという計画が今進んでおりまして、私どもは重大だと思っているんですが、メガソーラー発電プラント建設の意思決定の際に、考慮すべき費用にはどのようなものがあるか、このあたりをもう少しどういうものが考えられるのか、これは学生に対する設問をされているという先ほどのお話だったんですが、具体的にはどういうふうな考え方があるのかと。
 問題認識としましては、先ほどの3つの世界ではないですけれども、人々はここで暮らし、豊かな里山の自然を享受し、ここを朝夕散歩して、トレーニングして、そこにつくられると。これでもう心的な世界とか生活様式まで、豊かな暮らしを奪われるという側面と、ここはそれから28年発災で大規模な土砂災害が起こって、20数名の方の命が亡くなったと、エネルギーを得るためにそのような危険を冒しかねない、そういう地域の開発であるという問題とか、いろいろ考えてしまうわけです。
 そうしたことも考えておりまして、そして、この太陽光発電というのは、再生可能エネルギーで1番大きなシェアを占めていきますので、あちこちで進んでおりますが、それとの関連で、では、自然環境なり、人々の暮らしの中でのバランスといいますか、これは南山城村の事例に限らずあちこちで大問題になっていると思うんです。
 確かに再生可能エネルギーは賛成だけれども、自分の家の周りが全部ソーラーに囲まれてしまったとか、こんな事態とかが目立つようになりまして、この辺のお考えがあれば教えていただきたいと思います。

◯手塚参考人  非常に難しい話だと思います。お答えにはならないと思うんですけれども、災害の問題とか、里山の問題とか、さっきの私の話でいえば、全てある側面から見たときの問題点であるわけです。
 最終的に考えなきゃいけないのは、恐らくこの写真だけではないんです。もっとうわっと引いて、どのくらい、恐らく日本全体が見えるぐらいまで後ろに引いて、そこで、では、どうしようかということを考えるというのと、こういうミクロに、非常に近寄って物を眺めるということをやっぱり同時に考えないと、答えは出てこないですよね。災害を考えるとこうだ、再生可能エネルギーを考えるとこうだという議論は、個別にはできるわけですけれども、それを一緒に考えて、では、選べる結論は1個しかないわけです、これをつくるかつくらないかということになると思いますので。
 その結論に至る議論というのは、恐らくやっぱり18、19枚目、こういう話なのかなと。それで、エネルギーで考えなさい、災害があると災害のレベルというのはもちろんあるんだと思いますが、いろいろブレークダウンして議論して、最終的に1番上の我々の住む社会はどうなるんですかというところに全部話を戻して、そこの絵を描いて、では、その絵で議論するというのがやっぱり必要なのかなと思います。
 結構難しい。難しいんだけれども、それをやらないと合意形成できないですよねと思います。

◯島田委員  ミクロ的にもマクロ的にもいろいろありますが、現にそこで生き、暮らしている住民がおりますので、そこでの合意形成という点では、いろいろな意見がありますので、やっぱり議論をしていかなきゃいけないんですけれども、(手塚参考人「住民はもちろん大事です」と言う)ですけれども、ちょっと費用がどのようなものがあるかということを考えた場合に、私が思いつく、あるいは今の段階で住民の声が出ている点で紹介しましたけれども、どういうことを考慮しなきゃいけないのかなということでお聞きをしたかったんですけれども。

◯手塚参考人  費用については21枚目で、そんなにおもしろい答えは実は用意されていないんです。ただ、12枚目かな。ちょっといいページが思いつかないんですが、費用ということを考えるときに忘れてはいけないのは、誰が誰に対して支払うのかということです。外部費用となると、片方がいなかったりしますので話がややこしくなってくるんですが、誰にとっての費用なのかということを忘れてはいけなくて、違う人にとっての費用を足し合わせるということができなくなりますから、いろんな費用を並べて、それを全体で評価するという作業が必要になると思います。
 費用についてはそういうことで、そんなにおもしろい議論はないのですけれども、あと、固定費に関しては、費用になったりならなかったりすると、税金で置きかえることができるんだよということは、やはり忘れてはいけないことなのかなとも思います。受益者負担という原則もあったりはするんですけれども、全てそれでなきゃいけないということはなくて、再生可能エネルギーなんかは社会のインフラであるというように考えれば、それはみんなでもう費用負担することが当たり前であるとしても、別に間違った社会にはならない可能性はあると思います。