地域包括ケアの実践で健康と福祉の里づくり | 一関・藤沢病院をお訪ねしました。形だけでない本物のケア ― 住民の命を健康を守る真剣な取り組みに敬服しました。

11月7日、岩手県南部、宮城県との県境にある旧藤沢町民病院(現在市町村合併で一関市立藤沢病院)を党府議団の調査で伺いました。合併前の藤沢町は人口10,000人で高齢化率は32.1%と高い町。早くから住民自治を実践する町として有名ですが、近年は、保健・医療・福祉が連携した包括的な医療サービスを提供する町として注目を集めているところです。

かつて、藤沢町には1951年に開設した県立藤沢病院がありましたが、県の統廃合計画で1968年に廃院となり、その後、1982年医師1人の国診療所となりますが、地域医療に命をかけた佐藤医師が激務で亡くなられました。一方で、町は国保診療所の他に、特別養護老人ホームや保健センターを統合し、福祉医療センターを開設、縦割り行政でなく、保健・医療・福祉を総合的にとらえてサービスを提供しよう、それが本当の高齢化社会に対応するサービスだという町長の熱い想いがあったそうです。

平成に入り、病院建設構想が動き出しますが、県も国も猛反対。自治体病院は赤字だ、財政的に無理だとの一点張りで、困難を極めますが、苦労の末に1993年に国保藤沢町民病院が誕生。藤沢町の福祉医療センターの中核をなす医療機関として、まさに現在の地域包括ケアの先進として実践をしてこられました。統合した在宅サービスの提供、毎日の訪問看護部門や介護支援部門、介護施設、ボラントピアのみなさんが3分間のミーティングを行い、施設入所者に留まらず、地域の人々の健康や暮らしの実態を手のひらに載せて一人ひとりにあったケアのあり方、方針について検討しているとのことです。

日常的に住民の命と健康を支える体制は、東日本大震災の時も効果を発揮し、1人の犠牲者も出さなかったとのことです。若い医師たちを地域で育てよう、積極的に地域へ出て、住民と対話し、住民と病院が一体となって地域医療を発展させてきた取り組み、そういう中で経営は黒字、長年の取り組みで他の自治体よりも医療費は安く、結果、国保料も安い! 合併で民間委託しないのかと住民に言われたが、医療は公設公営でやってこそ、住民の医療や健康を支えることができる!と誇りを持って取り組んでおられました。これぞ、本物の地域包括ケアだと深く感銘した調査でした。 地域の病院を住民の意思に反して廃止したり、ベッドを減らすことに一生懸命なようでは本物の地域包括ケアをつくりあげていくことはできないと痛感しました。