4月2日から4日、福島県南相馬市原町の仮設住宅集会所を起点に支援活動に参加してきました。日本共産党の吉田さゆみさんをはじめ与謝地区の皆さんが継続して支援活動に取り組まれていますが、それに便乗して参加させていただきました。
米や水、新鮮な卵、そしてお菓子や手作り品などの支援物資を京都府内地区委員会から集まった60名にのぼるボランティアの手で一軒一軒仮設住宅を訪問し、配布しながら被災者のお話を聞く活動を行うとともに、地元社会福祉協議会の皆さんとともに丹後のばら寿司をつくる教室をしながら交流した女性の集い、自治会長さんや地元市会議員さんも参加した集会などが多彩に開催されました。
風雨の中、私は浜田府議と一緒に仮設住宅の元自治会長さんの案内で借り上げ住宅を訪問させていただきました。小高区や浪江町などから原町区に非難されている方は仮設住宅に3,500人、借り上げ住宅にも3,500人ほど。仮設住宅には支援があるものの、借り上げ住宅には何の支援もない中で、訪問先ではどこでも
「京都ですか。遠いところからよく来てくれました。支援物資を届けていただいたのはあなた方が初めてです。なにより、その気持ちがうれしい」
と、目に涙を浮かべたり、手を合わせて拝む姿などがありました。
多くの方が5回6回と避難先を転々とされていました。多いかたは8回です。その間に家族が亡くなったり、愛犬が亡くなったり、家族がバラバラにされてきたことや、家を立て直したばかりの方、コンバインや乾燥機を買い換えたばかりの方で借金を返すこともできないと話されました。また、避難生活を送る子供たちがいじめやにあったりと、東電や政府の支援の線引で、新たな差別が生まれていました。
午後には、浪江町へ。4月1日から入れるようになったばかり。原発事故で閉鎖されていた地域は2年前の震災直後のままです。つぶれた家屋や船や自動車があちこちに放置されていました。
お出会いできた方のほとんどが、70歳を超えた人たち。もうあと何年生きれるか、わからない。ふるさとに帰りたい。わたしの一代で終わるわけにいかないと懸命に生きておられました。
震災はまだ終わっていない。いや、被災者の現状はより一層深刻になっています。継続的な支援が必要と痛切に感じました。