◆台風7号災害 救援・復旧対策 早急に!――倉林明子参議院議員と現場調査 西脇知事に緊急要望を行いました。
8月14日深夜から15日朝まで京都府北部地域を襲った台風7号による集中豪雨により、被災された綾部市や福知山市大江町へ、倉林参議院議員、地元市議の皆さんとともに緊急調査に入りました。
5年前にも被害にあった綾部市物部地区では、堤防の嵩上げなど要望に対して抜本的対策がなされない中での今回の被害となっており、京都府管理河川の堤防改修や浚渫等の日常的管理が課題となっています。
綾部市志賀郷や福知山市大江蓼原地区では、谷筋のあちこちで土石流が発生し、大量の土砂や瓦礫とともに根こそぎ倒れた杉の大木が人家に流れ込んでいる有様です。
撤去した土砂や流木の仮置き場を確保してほしいとの緊急要望を、翌日、京都府へ届けました。
8月21日には、舞鶴市や八幡市での被害調査も踏まえて、西脇知事宛に『台風7号による被害の対策を求める申し入れ』を行いました。
→台風7号による被害の対策を求める申し入れ(第2回)[PDF]
申し入れでは、災害救助法に加えて激甚災害指定により救援と復興が速やかに進むよう国へ求めることや、被災者生活再建支援法の適用への取り組み、京都府の住宅支援事業の要件の見直しや支援制度の上乗せ措置などを求めました。
被災された方の多くが高齢者で1人暮らしの方も多く、土砂の搬出などはボランティアでは困難をきたす状況であり、土木事業者などとの連携による迅速な復旧作業が求められています。
8月21日の夜には福知山市で開催された市議会府議会報告会に参加し、この間の取り組みを報告させていただき、貴重な意見をお聞きしました。
今後の取り組みに生かします。
◆なぜ、日本人女性への戦時性暴力は語られなかったのか――日本軍「慰安婦」問題を記憶・継承する会「8・14メモリアルデー」連帯企画 吉川春子元参議院議員の講演会へ
8月20日に国会で「慰安婦」問題を追及してきた元参議院議員の吉川春子さん
(「慰安婦」問題とジェンダー平等ゼミナール代表)の講演の機会を得て、
その著書『日本人「慰安婦」を忘れない』にも目を通して出席させていただきました。
日本人「慰安婦」が戦後、語られてこなかったのはなぜか、
歴史から消されようとしているのはなぜか知ることができました。
京都にも敗戦直後の占領軍向けの慰安所がつくられていた事実は衝撃でした。
『日本人「慰安婦」を忘れない』はかもがわ出版から今年2023年5月に発売されました。詳しくはかもがわ出版の特設ページをご参照ください。
→http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/na/1273.html
化学物資過敏症・香害・SDGs 現状と課題を考えるパネル展のご案内
2023年9月11日(月)から10月5日(木)までの日程で、
『化学物資過敏症・香害・SDGs ―現状と未来を見据えた参加型パネル展示―』
が下京区いきいき市民活動センター1階ロビーで開催されます。
知らないうちに被害者にもなり、加害者にもなる・・・という現状の認識を、
1人でも多くの方に広めていただきたいので、皆さまふるってご参加ください。
第5回 公共政策講座『高学費・奨学金を変える―異次元の少子化対策を問う』ご案内
第5回公共政策講座『高学費・奨学金を変える―異次元の少子化対策を問う』のご案内です。
名古屋大学の石井拓児教授にお話いただきます。ぜひご参加ください。
当日は会場とZoomでのハイブリット開催です。
詳細はこちらのリンク先をご覧ください→https://www.jcp-kyoto.jp/schedule/schedule-9949/
また、Zoomでのご参加はこちらから→https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZUvduqsqDMtHtMozJmmwx0olOsOfWoPukD7
【日時】2023年9月4日(月)18:30開始
【会場】ハートピア京都 第4・5会議室
◆けい子の活動日記
上記の集会に報告者の1人、久米弘子弁護士が『京都の婦人のあゆみ』を紹介され、その中に
「一九四五年八月十八日、終戦の三日後に内務省が極秘のうちに『占領軍慰安施設設置指令』を発し、
『性的慰安施設の充実』 を急がせた」
とありました。以下、記録から。
「内務省警保局長指令を受けた京都でも、占領軍将兵の為に慰安婦の募集を急ぎました。
戦争・戦火によって家庭を破壊され、軍需産業の廃止、資材不足による生産不能は膨大な失業者を生み、今日の飢えをしのぐために職を求めてさまよった婦人たちが《パンパン》という街娼になったり、盗みをするようになりました。
京都市内はもちろん、舞鶴、桂、宇治、大久保など占領軍にいる周辺には、いつの間にかヤミバー。
ヤミ貸座敷、もぐり酒場等がものすごい繁殖力をもって広がりました。
(中略)
性病を恐れた米軍が警察に取り締まりを命じたので、連日のように《パンパン》狩りが行われ、うっかり派手な服装で立っていたりすると捕まって平安病院へ運ばれました。
性病撲滅のために強制入院させられても、治療費は借金となり、多くが《パンパン》へ戻ることとなる。
こうして、戦争が生んだ悲劇は一層深刻になる中、彼女たちの叫びを聞いてやらなければならない、救ってやらねばならない。」
そうした経緯を経て、婦人協議会や共産青年同盟の運動が広がっていきました。
歴史に学びたいと思います。